個展「Varied Carols」に寄せて

Varied Carols (様々な唄声)

喪失や悲哀に傾く時ほど様々な声が聴こえてくるように思います。ひどく揺れているようでいて、どこか静止している。
観点次第では痛みを知るのはよいことだと、致命傷でなければ。
ずっと自分のためだけに描いてきたように思います。大筋は変わらずとも、今は少し違うのかもしれないと思っています。大きな勘違いかもしれませんが。

展示タイトルはW・ホイットマンの詩の一節から、この言葉自体も聴こえてきた様々な唄声の中のひとつです。たしかに聴こえた気がしたものを描き留めました。

モノタイプの技法(版を残さない版画)が現在の自分にフィットしているとも思います。一点しか残せないものを写しとる行為(版に紙をあて、擦り、めくる)には宗教的な崇高さ、信仰に近いものがあるように感じます。
小さな作品ですが、掌に収まるモノにこそ宿る何かもあると。

言葉の重要さも日に日に増しています。
自分にとっては ですが、ずっと眼の方が先なのではないかと考えてきましたが言葉の方が遥かに速く、重要な局面も多くありました。
絵として残す道ですが、このことはこの先もずっと考えていくことだと思います。

絵に添えた言葉は絵のタイトルではなく、独立した個別のオブジェとして横に立っている(あるいは座して伏せている、眼は閉じていて耳を澄ませている)感覚です。寄り添い支え合う事もあり得るかもしれません。それを望んでいるのか、今の自分はわかっていませんが、お互いがお互いの祈りであり供物であるのだと考えています。

2022.11.29 gennhiraqui